就職活動は基本楽しくてしかたなかった。面接官の反応を見るのが楽しくて“こういったらどうかえしてくるんだろう??”みたいな楽しみがとどまるところを知らなかった。放送局から始まり、メガネ屋や100円ショップなどを受けたが実際に勤めた所が
着物屋である。和が好きだったから。
そのときに思ったことは、「三年社会人をしたら何か好きなことをしよう」ということだった。
入社前7日間はまさに地獄。連日テストの詰め込み詰め込みであったが、仲間がいたからがんばれた。
ちなみに配属は山梨県、正直最初はどこのことかさっぱりわからず、辞令を頂いた時、キョトンとしていて上司に「なんだ?いやなのか??」といわれた。
ここから1年は暗黒時代であった。店長は色々教えようとして頂いたりと、今思えばかなりお世話になりましたが、当時は直の先輩が嫌で嫌で、着物を売ることがどういうことかという真実を目の当たりにしたりいろいろと弱い部分があり、社会の現実を知り、その中でも山梨での友達のいない一人暮らしがたたり、いろいろ病んでしまった時期であった。しかし、いろいろ心配してくれる友達ができ、パートのおばちゃんも山梨のおかんと呼べるくらい親しくなり、お客様のささえもあり、なんとか続けていた。しかしこのころからである。学生の時から赴くようになった中崎町。たまの連休で行く中崎町。日々の仕事で取り扱う和小物。
雑貨屋がしたいと思い始める。
正直なところ、もう限界出会った私は「人生に一度のわがままだ」と心に決めて、同時に雑貨屋をすべく着物屋を退社することになる。
その後、資金集めのためにと思いリサイクルショップにご縁あって入社するが、一年の間にすったもんだがあり、入社して4ヶ月で異動になったり、戻されたり、部署を異動し、トラックを運転したり、催事を担当したり、またお店に戻るも2週間で、別店の店長代理になり、、とあれよあれよというまに、まさかの場所まで行く。ちなみに店長代理という肩書きではあるが、誰の代理か分からないという変なポジションであった。ですが、それもこれも良い経験になりました。
そして、2010年7月2年間のリサイクルショップ店員を経て、この会社にいては準備する時間が持てない!!と一念発起して退社。
それからというもの、奇跡的な幸運続きと周りの皆さんの支えにより、あれよあれよという間に店舗が決まり現在に至る。ここからがスタートだ!!
よし!オレはやるぞ!!
海賊王に!俺はなる!!(違
終わり