和風雑貨とキリンのお店

遊美屋+Asobiya+














































1984年6月18日未熟児で生まれる。1900gくらいらしい。
とっても愛らしかったであろうこと間違いない。

幼稚園卒園まで大阪は布施というところですごす。

幼稚園のときは小さい男の子にいじめられていたがそんなこんなでなんだかんだいっても、
それなりに楽しかったであろう。

なんせ初恋の相手は幼稚園の先生である。

ちなみに数年前にいじめられていた子を見かけたら小さいままだった、
今なら絶対俺が勝つね!!
その当時、園ではふれあい動物園なるイベントがあり、
うさぎなどと気軽にコミュニケーションがどれるといったものなのですが、

私はニシキヘビを首に巻いておりました。

そんなこんなで小学校時代はみるみる体重を増やし(どんなこんなだ。)ぜい肉のカタマリと言われる
基本そんなこと言われようが、良き友がいたので何の苦でもなかったが、すごくキレやすいタイプで喧嘩は良くしていた(負けますけどね!!)このころ、書道に水泳にバスケットに学研にいろいろ習い事をしていた。

そして、中学時代野球部に所属し青い春を過ごす。
激しい部活動で激やせドラえもん体型からスネ夫体型へ。
おいたをする部員がいて何度も休部になり、ある日廃部の危機が訪れて野球ができなくなるのが嫌で本気で泣いてしまったことがある。まぁ、結局廃部にはならなかったのだが、その後卒業間際に肩を壊し、まともにボールを投げることができなくなる。

高校はそんなこともあり、CIP部(パソコン部)に所属、イラストなどを製作していたが、大半の時間を友達の横に座ってしゃべるという時間に費やす。おしゃべり力が付いたのはこの頃である。初恋や文化祭を主だってやったりいろんな経験をする。眉毛のない先生や幸せ太りのスナイパーにPC操作をノウハウを学ぶ(情報科学科卒業)

大学に指定校推薦でいとも簡単に入学、大阪国際大学心理コミュニケーション学科である。
1年のゼミからゼミ代表をしはじめてのお題は「志村けんについて」である。3年のときその1年の時のゼミの先生のゼミに入る。無条件でゼミに入るかわりにゼミ代表をすることになる。志村けんに始まり、卒論はバラエティ番組が心に及ぼす影響的な発表をする。ちなみに部活はアコースティックギター部に所属し、学祭などで歌っていた。次第に部長になり、地域のラジオ番組などにもでる、このとき当時組んでいた子と“マットキ”というユニット名にされる。ユニットというか、むしろコンビである、部活でも基本お笑い担当だったのである。                             続く